湖西線 113系 運用表 31

気動車キハ75形 | 電機EF64 電機EF70 電車305系 気動車キハ126系 電車E351系 電車451/453/455/471/473/475/457系 電車E127系 電車E721系 電車5000系 永原 14:02 – 近江今津 14:31 – 安曇川 14:38 – 近江舞子 14:48 – 堅田 14:59 – 15:04 おごと温泉 15:05 – 大津京 15:13 – 15:25 京都 15:26 – 15:32 向日町 15:43 – 長岡京 15:46 – 山崎 15:48 – 高槻 15:52 – 茨木 15:55 – 吹貨16:04, 吹田貨 14:23 – 高槻 14:35 – 14:56 京都貨 16:23 – 京都 16:27 – 能登川 17:23 – 18:56 敦賀 19:02 – 19:26 今庄 19:46 – 22:44 金沢貨 22:53 – 富山貨 23:57, 富山貨 0:29 – 2:14 直江津 3:01 – 4:14 南長岡貨 12:14 – 新津 13:16, 回9524M 113系 湖西線 比叡山坂本 緑一色になったc13編成です。 (2012/8/16追加) no.d700_120812-83 2012年8月12日 113系 湖西線 比叡山坂本 リニューアル化されたアーバン色(カフェオレ色)の113系l15編成です。 【近鉄】奈良 大阪 京都 橿原 天理 南大阪 電機EF12 気動車キハ201系 旅客機 Douglas DC-8 電機EF61 旅客機 Boeing 757 気動車キハ40系 気動車キハ141形 電車BEC819系 客車50系 | 蒸機C61 電車813系 | 電車E233系 ディーゼル機関車DD13/DD15 | 蒸機9600 蒸機D51 通勤電車 蒸機C55 旅客機 Airbus A340 蒸機C62 電車E501系 電車783系 | 旅客機 Airbus A220 ディーゼル機関車DE10/DE11/DE15 電車クモハ42 国鉄113系電車(こくてつ113けいでんしゃ)は、1963年に日本国有鉄道(国鉄)が開発した[1]直流近郊形電車。, 湘南電車(東海道本線東京地区普通列車)には1950年代末期から1960年代初頭にかけて80系と153系が使用されていた[3]。しかし両形式は片開きの片側2ドア・デッキ付き構造でラッシュ時の客扱い能力に難があり、打開策として両開き片側3ドア・デッキなし構造の近郊形電車が投入されることになった[3]。, また、同時期には山陽本線の三原駅 - 広島駅間が電化され、東京口に3扉の近郊型電車を投入して80系を中部・関西地区へ転出、80系転出により中部・関西地区の電気機関車を山陽本線の電化区間に転用することとなった[4]。このような経緯から1962年に登場した3扉近郊型電車が111系である。, 1960年に常磐線用に開発された交直流電車である401系と、その姉妹車で山陽本線・鹿児島本線用の421系の直流専用型というべき位置付けである[5]。, 車体は3扉セミクロスシートで、401・421系の構造が踏襲されている。機器類も主電動機として1時間定格出力100 kWのMT46A形直巻電動機を搭載し、歯車比も同一の4.82であり、主制御器もCS12A形が採用されている[6]。, 台車は空気バネ台車を使用する案もあったが、401系と同じくコストの面で有利なコイルばね台車が使用された[6]。電動車用は401・421系用と同一のDT21B形であるが、付随車用台車はブレーキ頻度の高さを考慮して、修学旅行用の155系で実績のあるディスクブレーキ式のTR62形が採用された[7]。, 前面形状は、153系のうち1961年度以降製造された高運転台タイプと同じ構造である。先頭車前面の幌枠が70 mm突出しており、先頭車の車体長は153系や401系の19,570 mmに対し、111系では19,500 mmと短くなっている[6]。前照灯は落成時点では大型タイプで、のちに前面強化工事と併施で小型のシールドビームに改造された車両もある。, 車体塗装は、緑2号と黄かん色のツートンカラーである湘南色が踏襲された[6]。遠方からでも153系との識別が可能なよう窓周りの黄かん色の範囲が広くなり、下部の緑2号は前頭部にも伸ばして前照灯の下方から貫通幌の下までV時に降ろす塗り分けとなった[6]。, クハ111形のうち偶数向き(静岡・神戸方)に連結される車両は、床下に電動空気圧縮機 (CP) を搭載することから、300番台として区分されている[7]。, 相前後して1時間定格出力120 kWの強力型モーターMT54形が開発されたため、直流近郊形電車もこれを搭載した113系に移行し、111系の新規製造は1962年 - 1963年と短期間で終わっている。モハ111・110形の製造は64ユニットで終了し、以後はモハ113・112形に移行したが、動力のない制御車は引き続きクハ111形として増備されている。, 1962年6月より東海道本線東京口用として大船電車区(現・鎌倉車両センター)と静岡運転所(現・静岡車両区)に導入された[8]。1967年秋には横須賀線にも進出した[9] が、当初は東海道本線と同じ湘南色で使用されたため、誤乗防止の為前面に横須賀線のラインカラーであるスカ色のヘッドマーク形行先表示板が取付けられていた。, 登場当初の編成を以下に示す。基本編成中間に先頭車両(Tc)が組み込まれているが、これは新幹線が開通した際の編成短縮を見込んだためである[3]。新幹線開業後は偶数向きクハ(Tc1)を組み込み4両+4両+8両の16両編成として、8両・12両・16両の3種類の編成で運用される構想となっていた[10]。, 1974年以降、113系0'番台の投入によって大船所属車は広島運転所へ転出し、その後は東海道本線静岡地区と山陽本線広島・下関地区で集中使用された時期が長い。なお、111系と同じ時期に製造されたクハ111形の一部は、鳳電車区(のちに日根野電車区)に転配され、関西本線湊町(現在のJR難波) - 奈良間や阪和線、紀勢本線などで使用された。, これらは国鉄末期から廃車が始まっていたが、国鉄最末期の1987年3月に四国地区(予讃本線高松 - 坂出、多度津 - 観音寺間と土讃本線多度津 - 琴平間)で電化が実施されるのに伴い、12両(モハ111/110-13・24・36, クハ111-6・11・28、303・317・323)が4両編成3本を組んで四国(高松運転所)に転用され、そのまま四国旅客鉄道(JR四国)に承継された。JR化後の1988年には、JR四国用として日本国有鉄道清算事業団が保有していた8両(モハ111/110-3・4, クハ111-2・10・27・29)の車籍が復活した。, 瀬戸大橋線開業直後は岡山 - 高松間の臨時快速にも使用されたが、おもに瀬戸大橋線岡山 - 観音寺間と、ラッシュ時の高松 - 観音寺・琴平間の列車に使用されたほか、団体専用列車にも使用された。先述のように各部に改造がされていたが、老朽化のために1996年から2001年3月にかけて6000系や後述の113系改造車(→#JR四国)に置換えられ、全車が廃車となった[11]。, なお、111系として落成し、西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承されたクハ111-314は後述の高速化改造施工によりクハ111-5314に改番のうえ、2006年5月まで在籍していた[注 6]。また、台車・主電動機の一部は豊橋鉄道へ譲渡され、同社渥美線用の1900系の走行機器[12] として使用されたのち、さらに京福電気鉄道福井支社(現 えちぜん鉄道)へ譲渡されモハ1101形(MC1101形)の走行機器[12] として2014年に同形式が全廃されるまで使用された。, 旧静岡地区所属車のクハ111-1は佐久間レールパークで2009年11月まで保存されたのち、2011年3月に開館したリニア・鉄道館で保存されている。旧四国地区所属車のクハ111-3002は四国旅客鉄道多度津工場に保存されていたが、2011年12月に解体された[11]。モハ111・110-1が東海旅客鉄道浜松工場に保存されていたが、2010年12月に解体された[13][注 7]。保存車はいずれも湘南色[注 8] である。, 1962年(昭和37年)に先行開発された111系をもとに、120 kWに出力が強化され新たに標準化されたMT54形主電動機を用いた形式が113系である[10]。これにともない主制御器、主抵抗器なども容量が増大された。1963年から1982年にかけて約2,943両(サロ124・125形を含めると2977両)が製造され、おもに本州内の平坦で温暖な地域の路線で広く普通列車から快速列車に用いられた。寒冷・急勾配路線用に並行製造された115系に対し、113系は平坦線用のため抑速ブレーキやノッチ戻し制御は装備しない[10]。, JR移行に際しては、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の3社に引き継がれ、主に東海道本線や山陽本線系統など平坦路線の普通・快速列車に運用されたが、後継形式への置き換えによって2007年にJR東海で、2011年にJR東日本[1] で、2019年にJR四国[14] で運用を終了した。2019年4月時点ではJR西日本に132両が在籍し、主に普通列車に運用されている。, 113系の形式における新造車および改造車は以下のとおりである。なお、順番は過去からの慣例に準じる。, ここでは、113系の新造時から存在する形式を紹介する。製造区分によって違いがあるが、この点は下記の#新規製造車詳説を参照されたい。, ここでは、新規に製造された113系の番台区分を解説する。改造車両の番台区分については次節を参照。, 1962年に登場した111系の出力強化版として、113系の0番台が1963年に登場した[10]。1969年に登場した1000番台は、総武快速線の地下線乗り入れのため防火対策車として投入された[15]。1972年の1000番台増備車(通称1000'番台)は地下線でのATC導入に伴う設計変更車となり、ATCへの対応とともに冷房化(一部冷房準備工事)も実施されている[16]。, 1974年の湖西線開業に伴って、1000番台増備車の冷房化・防火構造をベースに耐寒耐雪構造を取り入れた700番台が投入された[17]。暖地用0番台の1974年以降の増備車(通称0'番台)においても、700番台や1000番台増備車と同様の冷房化・防火構造が取り入れられた[18]。, 1978年に登場した2000番台では、クロスシートのシートピッチ拡大が行われた[19]。1979年には1000番台のシートピッチ拡大版として1500番台が[20]、1980年には700番台のシートピッチ拡大版として2700番台が投入されている[21]。, 0番台と1000番台で新製冷房車のグループに「'」(ダッシュ)を用いて呼称する表現は、電車発達史研究家の福原俊一が国鉄分割民営化前に寄稿した鉄道趣味誌の記事が発祥である[22]。当時の幕張電車区や国鉄本社運転局で「113'」と表記していたことに着想を得て、ダッシュに「New・新」の意味合いを持たせたもので、福原による非公式の表現であったが、後の趣味誌にもこの表現は拡大した[22]。, 1963年(サハ111形のみ1969年)から製造された、113系最初の製造区分である[10]。当初は東海道本線東京地区および横須賀線に投入され、1964年には京阪神地区にも投入が始まった。横須賀線の0番台車については東京駅および新橋駅の地下ホーム乗入れにともなう難燃化対策の必要から、1970年代以降すべて後述の1000'番台に置換えられている。, 機器類の標準化を図るため、主電動機は115系・165系で採用されたMT54形が使用され、主電動機出力はMT46形の100 KWに対し120 kWに向上した[10]。外観は111系と比較して変化はなく、相互に連結も可能である。特に付随車および制御車には111系と同一構造で、形式および番号も111系の続番とされている。ただし、クハ111形の雨樋が乗務員室扉上まで延長されている。, 設計上の母体となった401・421系および403・423系とともに、屋上のベンチレーター(通風器)の形状、配置が数回にわたって改良されている。大きな変化としては、1964年からクハ111形の運転台部分に乗務員への通風用の四角形の大型通風器が設置されるようになり、1968年からは雪対策として丸型(グローブ型)だった客室用通風器が、吸気調節のできる押込型に変更された[23]。サハ111形はすべて押込型での製造となっている。, クロスシート部の取手が従来は丸型であったが、1967年の増備車より角型に変更された[24]。, クハ111形5000番台(→高速化改造車)奇数(東)向き車。丸型通風器搭載・シールドビーム前照灯のタイプ。冷房機の搭載が行われている。, クハ111形5000番台偶数(西)向き・CP付き(5300番台)車。押込型通風器搭載のタイプ。冷房機の搭載が行われている。, 1968年製造のモハ113-203は、当時便所・化粧室ユニットとして実用化されつつあったFRPを屋根構体に試用して製造された[25]。試用の結果、耐候性の点でFRPを構体に使用するには問題があることから試作にとどまり、1977年の冷房化改造の際、通常の鋼板屋根に変更された[26]。, 1964年2月に横須賀線・伊東線で営業運転が開始され、京阪神快速でも同年9月より営業運転を開始した[27]。, 1970年に冷房試験車が京阪神地区に投入されている。103系に用意された冷房試験車と同様、AU73X、AU74X、AU75Xの3種の冷房装置と各種の風道方式が試験されたが、103系は試験用に新造された車両であったのに対し、113系は既存車の改造で賄われた。試験の結果は良好で、国鉄時代は一部車両に対しそのままの様式で冷房改造が進められた(→#冷房改造)。, 1970年から1973年の間、1000番台の製造が重点的に行われたため、0番台の製造は中断した。その後、1975年3月のダイヤ改正で山陽本線の快速列車の運転と呉線の客車普通列車の電車化が実施され、首都圏の111系を山陽地区に転用するため首都圏に113系が1974年より新製投入されることとなった[18]。0番台の増備車であり、後述の700番台と同様に冷房車、防火対策が取り入れられている。, 車体構造は後述の1000'番台・700番台の影響を受けており、窓別組立・後取付け(ユニット窓)で製造時からの冷房搭載車(新製冷房車)となり、前照灯も製造時からシールドビーム[注 9] となった。車輌番号は以前の車両の続番でモハユニット-233、クハ111-194・505、サハ111-5以降が付されたが、それらとは各部で形態が異なっていることから、非公式の呼称ではあるが「0'番台[18]」と区別されることが多いため、本稿でもその呼称を使用する[注 10]。なお、0'番台に相当する0番台のサハ111形は-5の1両のみであった。0’番台は首都圏と京阪神地区には大量に新製配置されたが、名古屋地区への新製配置はない。, 各地で長きにわたって使用されており、老朽化により廃車が進行している中で1969年以前の車両でも運用されているものも存在する。JR東日本、JR西日本に承継された0'番台には延命目的で大規模なリニューアル改造(→#体質改善車)も実施された車両も存在したが、余命を考慮して2007年をもって新規施工は終了した。, モハ113形5000'番台。初期車と比べ、ユニット式となった開閉窓が角ばっている。, クハ111形5000番台偶数(西)向き・CP付き(5300番台)車。運転台直後の窓配置に変化が見られる。, 横須賀線・総武快速線の地下区間(錦糸町 - 品川間、1972年錦糸町 - 東京間開業、1976年東京 - 品川間延伸)直通を目的に、1969年から製造された地下区間乗入対応車両グループである[28]。0番台を基本に、運輸省(→国土交通省)制定のA-A基準に対応した難燃構造が採用された。CP付きの西(偶数)向き制御車は、基本番号+300の「クハ111形1300番台」と区分されている。, パッキン材など一部の部品に使用されていた木材は廃され、窓やカーテン、床板、腰掛などの材料も難燃性・不燃性材料に変更されたほか、火災発生源となりうる抵抗器などの一部機器・回路に発火防止対策がなされている。また、1972年以降に落成した先頭車(クハ111-1017 - 1025・1332 - 1339)は前照灯がシールドビームに変更されるとともに、方向転換不能とされ、主制御器もメンテナンスフリー化を図ったCS12Gに変更された。, 総武快速線は、房総東線(後の外房線)の電化と同時に1974年7月に開業することとなった[15]。地下区間の保安装置は当初はATSを使用する予定であったが、開業間近の時期にATCを導入することになったため、ATC装置を搭載し、あわせて冷房装置搭載など各部に大幅改良がなされた車両が1972年4月以降に新たに製造されることになった[15]。初期の209両は冷房準備車として落成しており、113系で唯一の冷房準備車となった[16]。, 従来の1000番台車両は、専ら房総地区(総武本線・成田線・鹿島線・外房線・東金線・内房線)ローカル列車や0番台とともに東海道本線東京口で使用されることとなった。特に、サハ111形については東海道本線東京口に転用されたことから、0'番台での増備が1両にとどまることになった。このグループは「地上用1000番台」と通称されることもある。, 新たに製造された車輌は先頭車の助士席後部にATC装置が搭載(一部は準備構造)され(助士席部分の折りたたみ構造は廃止された)、運転士側も後方に拡大されて急行形電車並みの広い構造に、従来車では前照灯と幌枠の間にあったタイフォン(警笛)が下方に移設され、ジャンパ栓がKE70形とされたほか、全車とも側面窓上に行先表示器が設置され、側窓は別組立・後取付けの「ユニット窓構造」が採用された[29]。車両番号は従来車に続いて、モハユニット-1055、クハ111-1026・1340、サハ111-1020以降が付番されているものの、従来の非ATC車両との区別のために、非公式の呼称ではあるが「1000'番台[15]」と区別されることが多く、本項目でもこの呼称を使用する。, また、トイレは設置位置、数は0番台や1000番台従来車と変化ないが、地下線の清浄化と保線作業者の影響を考慮して、循環式汚物処理装置が設置された(横須賀線向けに投入された車両は当初準備工事のみで後に設置)。また、主電動機もISO規格ネジを採用してメンテナンスフリー化を図ったMT54Dに変更された。後期の製造車は落成時から冷房装置を搭載した「新製冷房車」となり、MG容量は冷房・制御電源が一体化されて160 kVAとなった[29]。容量の増大にともない、搭載するモハ112形は側面中央扉の戸袋窓部分にMG冷却用冷却風取入口が設けられている。, この車体構造は以降の地上用の新製冷房車(0'番台)や700番台でも採用されたほか、115系300番台および415系0'番台でも採用されている。ただし、クハ111-1106・1419以前の車両は115系300番台以降の車両と異なり前面強化構造とはなっておらず、後年、前面強化工事が推進された。, 地上用となった従来車は後に前照灯がシールドビーム化された車両もあるが、タイフォンが他番台と同じ前照灯と幌枠の間の配置となっているほか、窓構造や、ATCの装備がされていないために先頭車両の助士席後部の窓配置も異なっているなど、1000'番台との差異は大きい。冷房装置も、国鉄時代には1000'番台と同じAU75系が搭載されたが、民営化後にはJR東日本開発の集約分散式冷房装置AU712形2基/両を搭載した車両も存在する。中には非冷房のまま廃車となった車両も存在する。, 国鉄時代にごく少数の初期非ATC車が中京圏・近畿圏に転用された他は[注 11]、当初の配置区所で使用され続けた。よって、国鉄の分割・民営化時にはほとんどがJR東日本に承継されている。, その後も長きにわたって横須賀・総武快速線および房総地区ローカル列車の主力車両として使用され、初期非ATC車を中心に更新工事、後期ATC車を中心にリニューアル工事も施工されたが、横須賀線・総武快速線では1999年にE217系への置き換えによって撤退する。一部の車両は小山電車区(現在の小山車両センター)に転出し、湘南色(塗り分けは115系と同様)に変更のうえ、E231系投入まで限定運用で使用された。房総地区でも2004年10月から状態の良い元東海道本線運用車(0'番台、2000番台)、2006年10月からはE231系の投入で余剰となった211系3000番台の転入があり、リニューアル車以外は消滅した。, このグループのサハ111形は、2005年に東海道線で更新工事施工のうえ使用されていた1両 (1015) が廃車されたのを最後に、形式消滅した。また、中京圏・近畿圏からJR東海・西日本に承継された車両も、阪和線で使用されていた1両(クハ111-6310・高速化工事で+元番号5000)が2004年に廃車となり、消滅している。, なお、横須賀・総武快速線からの撤退時には廃車となるゾロ目番号のクハ111-1111を含む編成が1999年(平成11年)11月11日にイベント列車として使用された。また、ATC付きの1000'番台は横須賀・総武快速線が禁煙区間とされたために灰皿は製造時から設置されていなかったが、ATC非搭載の1000番台では設置されていたため、房総地区では1997年3月のJR東日本管内普通列車全面禁煙化まで列車によって禁煙であったり喫煙可能であったりする現象が続いた。, 1974年7月20日、東海道本線の山科駅と北陸本線の近江塩津駅を結ぶ湖西線が開業した[17]。交流電化であった北陸本線と接続するため永原 - 近江塩津間に交流・直流のデッドセクションが設けられ、直流電化の京都 - 永原間の普通列車に113系が使用されることとなった[17]。湖西線は寒冷地の降雪線区であることから、115系に準じた耐寒耐雪装備を持つグループとして1974年に登場したのが113系700番台である[17]。, 1974年から1976年にかけて、2M2Tの4両×9本、4M2Tの6両×8本、計84両が製造された。短編成のためサハ111形は製造されていない。クハ111形は奇数向き車が700番台、偶数向き車が750番台となり、10の位の数字で区分された[30]。, 1000'番台の車体をベースに客用扉の半自動(手動で開閉)対応化、前面タイフォンへのシャッター設置、スノープラウ設置といった耐寒耐雪構造が取り入れられており[17]、115系300番台から勾配抑速ブレーキを取り除いた仕様であるといえる。運転台スペースも1000'番台と同様に広く取られたが、助士席側にあったATCの機器スペースはなく、窓配置と座席定員が変更されている[30]。, 1972年11月に発生した北陸トンネル火災事故を教訓に、以後の新製車は不燃性・難燃性を向上したA-A基準に準拠した構造となり[30]、700番台においても1000'番台と同様の防火対策が取り入れられている[31]。前面のタイフォン(空気笛)は、700番台以降では1000'番台と異なり、前照灯と同等の高さの位置に配置された[31]。, 新製時の配置は高槻電車区(現:網干総合車両所明石支所高槻派出所)で、国鉄末期の同区の無配置化に伴い宮原電車区(現:網干総合車両所宮原支所)に転属、国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に承継された。JR発足後に吹田総合車両所京都支所(旧:向日町運転区 → 京都総合運転所)に転属している。1991年からは後述の高速化改造が施工され、全車が番号に5000を加えた「5700番台」となり、一部は半自動扉の電動スイッチ化や体質改善工事も受けたが、2007年以降の新規施工は中止された。, 登場以来、湖西線とその後電化された草津線で運用されているが、京都支所への転出後は山陰本線京都口(嵯峨野線)でも運用されている。嵯峨野線用は方向幕がLED化され電気連結器を持つ「C編成」、湖西・草津線用は電気連結器を持たない「L編成」とグループが分かれていたが、嵯峨野線における運用が終了したことに伴ってL・C編成とも湖西・草津線のみの運用に使用されている。このグループの中から、2003年電化開業の小浜線用として半自動開閉扉ボタン取付や座席改造が行われた2本が福知山運転所電車センター(現:福知山電車区)に転属したが、2006年の北陸線敦賀直流化に伴う125系増備により京都支所に復帰している。また、2005年に福知山線で発生した脱線事故による117系の同線からの撤退を受け、補充用として宮原総合運転所に転用された車両も存在する。現在は電動車ユニット1組 (5768) が該当。, 2008年から221系の山陰本線京都口(嵯峨野線)転用に伴い、一部の車両は広島地区へ転用された。転用車の中には高速化の解除が行われ、原番号に復帰した車両も存在する。, モハ112形5700番台。冬季の架線の霜取り用にパンタグラフが増設(写真手前側)されている。, クハ111形5700番台偶数(西)向き・CP付き(5750番台)車。半自動ボタン設置のため、一部戸袋窓が半分に埋め込まれている。, 1955年より使用されていた東海道本線名古屋地区の80系は、1978年より113系の新製投入で置き換えられることとなり、115系1000番台で採用されたシートピッチ拡大などの設計変更も実施されることとなった[19]。0番台の後継に相当するグループとして、1978年から製造(サハ111形は1980年から)された地上温暖地向仕様の番台区分が2000番台である[19]。, クロスシート部の座席間隔(シートピッチ)の拡大(1,420 mm → 1,490 mm[32])・座席幅の拡大(880 mm → 965 mm)、形状変更とこれに伴う窓の割付の変更、座席定員の減少などがなされたため、番号が区分された。CP付きの西(偶数)向き先頭車(クハ111形2000番台)は全車トイレ付きだが、CPなしの東(奇数)向き先頭車(クハ111形2100番台)は2145までがトイレなし、2146以降はトイレ付きと製造途中に仕様変更が行われた。, 後期に製造された車両は屋根上冷房装置横のランボード(歩み板)などの構造が当時製造されていた201系量産車に準じたものとなっている。, サハ111形2000番台のうち、2001 - 2007・2009 - 2012・2025は1983年から2000年に大船電車区(現在の鎌倉車両センター)と幕張電車区(現在の幕張車両センター)に配置され、1000'番台に連結されて横須賀・総武快速線で使用されていた。1000'番台・1500番台との主たる相違点はジャンパ栓だけであり、0'番台以降、車両の耐火基準は地下用のA-A基準に沿って製造されているので、地下線区間走行に問題はなかった。, 第一陣は80系の置き換え用として大垣電車区に、その後同じ1978年に高槻電車区、宮原電車区に投入された。関東地区においては1980年、国府津電車区への配属が最初である。現在、東海道本線からは撤退したが、比較的新しい本グループは他番台置き換えなどで温存される例が多く、近年までJR東日本・東海・西日本に多数在籍していた。例えば、国府津車両センターから幕張車両センターへの転属車は一部の先頭車を除いて2000番台が対象であった。しかし、状態の悪い老朽車や短編成で必要のないサハ111形は順次廃車・解体が進んだ。またJR東海所有の車両は313系3次車の投入に伴い、2006年8月から2007年3月にかけて廃車が行われ、定期運用が消滅した。, また、京都総合運転所「C編成」に組成されておもに山陰本線京都口(嵯峨野線)で使用されている車両は、特に番号区分などは行われないまま寒冷地対策でスイッチ式半自動扉への改造が行われている。これらは方向幕のLED化も行われた。, 扉スイッチ設置のモハ112形7000番台。同様の工事が行われた5700番台と異なり、戸袋窓の埋め込みはなされていない。, 1980年10月のダイヤ改正で、東海道本線と横須賀線の分離(通称:SM分離)が行われるとともに、横須賀・総武快速線の直通運転が実施された[33]。この直通運転に伴う増備車として、1000'番台をベースに2000番台の車体構造を取り入れたシートピッチ拡大車として1979年から製造されたグループである[20]。CP付きの西(偶数)向き制御車は、基本番号+100の「クハ111形1600番台」と区分されている。また、6両製造された東(奇数)向き制御車のうち、1504までがトイレなし、1505と1506はトイレ付きと製造途中で変更がある。, 全車が大船電車区・幕張電車区に新製配置され、横須賀・総武快速線で使用された。国鉄の分割・民営化時には全車がJR東日本に承継された。E217系投入後は、房総地区ローカル用に幕張電車区配置となったほか、一部は車両需給の都合から国府津電車区に転出し東海道本線東京口で使用された。サハ111形は1両(1501 廃車)を除き国府津電車区に転出し、老朽化したサハを置き換えている。サハ111形は国府津車両センター(2004年に改称)へのE231系投入に伴い転用先がなく全車廃車となり形式消滅しているほか、国府津に転用された1500番台は幕張車両センター(2004年に改称)に再転属されず全車廃車となった。幕張車両センターに配置されている1500番台はほとんどの車両にリニューアル工事が施工された。しかし、モハ113・モハ112-1517・1520は未施工であったが、モハ112-1517は補助電源装置と空気圧縮機をリニューアル施工車と同一品に交換している。, クハ111形1500番台(1600番台)は、最後の2両(クハ111-1504・クハ111-1602)が幕張車両センターS224編成の両先頭車に組成されていたが、2011年8月30日に長野総合車両センターへ回送された[34]。, 1980年3月に草津線の草津駅 - 柘植駅間が電化され、湖西線との共通運用のための113系が増備されることとなった[21]。2000番台と同様のシートピッチ拡大を行い、700番台と同様の寒冷地対策が追加されたグループとして1980年に登場したのが113系2700番台である[21]。このグループも、115系1000番台から勾配抑速ブレーキを取り除いた仕様といえる。, 先頭車のクハ111形は、奇数向き車が2700番台、トイレのある偶数向き車が2750番台に区分された[21]。700番台同様、サハ111形の製造はない。, 1980年に4M2Tの6両編成2本が製造され、草津線電化開業時から湖西線用700番台と共通運用されてきた。1983年から1984年にかけて4両編成に組み直された際に不足した先頭車は、後述のクハ111形2000番台からの改造編入で賄われている。, 全車がJR西日本に承継され、現在は全車が高速化改造されて番号に5000を加えた「7700番台」となり、体質改善工事を受けている。その後も湖西・草津線で運用されてきた。JR西日本では小浜線の電化に際して2002年から2003年にかけて追加で改造車が誕生している。, 本系列は、長きにわたり大量に製造されたほか、JR各社へ移行後も使用されていることから、地域や時代のニーズに合わせた改造工事が多数施されている。, 1960年代に製造された車両は1980年以降老朽化が進み置き換えの対象になったが、当時の国鉄の財政では新造車両への置き換えは困難だったため、製造から15 - 16年経過した車両に対して全般検査2回分の延命を図る延命工事を施工した。これが特別保全工事である。, このほか、施行工場によっては、引戸の取替や内装更新(化粧板、シートモケットの配色交換)、塗屋根化なども追加で実施したほか、冷房改造や汚物処理装置取り付けも併せて行った車両も存在した。民営化後も引き続き各社で行われたが、延命工事に切り替えたため、施行車両は少ない。なおJR東海では平成に入ってから、施行の際に化粧板が211系同様のものに取り替えられた車両も存在した。, 冷房化が本格化した私鉄通勤電車に続き、国鉄でも通勤・近郊形電車の冷房化を試行することとなり、1970年に山手線の103系10両と京阪神快速の113系8両で試作冷房車が投入された[35]。103系は冷房車として新造されたが、113系では既存の0番台が改造された[35]。, 冷房装置はクハ111-360とモハ112-15が東芝製AU73X形、モハ112-55とクハ111-369が日立製作所製AU74X形、クハ111-52とモハ113-15・55が三菱電機製AU75X形と集中式3種類が車体・台枠を補強のうえで搭載され、車内の意匠も冷房風道や吹き出し口の配置、扇風機の有無も数種類が存在した。, 冷房用電源装置は、113系では編成両数の考慮から急行形冷房車と同一の110 kVAのMGがクハ111形に搭載された[35][37]。, 一方、サロ112-14は同系の車体を持つ165系サロ165形、455系サロ455形と同様の分散式AU13E形が搭載されたが、それらが5基搭載だったのに対して6基搭載とされた。

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